Consert Reports

コンサート・レポート

What's New


ロンドンロイヤルオペラ「Il Trovatore」 07/02/05 @Royal Opera House, London

ロンドンと言えば、Royal Opera House!ロンドン出張期間中ちょうどシーズン中ということもあって行ってきました。席はDonald Gordon Grand Tierというアリーナから一段上がったエリアの前から2番目。かなりよい席です。それもそのはず160ポンド!(ひ〜)これが席から見たステージ。

実は先々月ミラノに行った時もスカラ座を狙っていたのですが、この時はどうしてもスケジュールがあわず断念。しかもミラノを発つ晩が、何とアイーダの初日!断腸の思いで次の宿泊地へ飛んだのですが、後でBBCニュースを見たら、この初日は、主役が大ブーイングを浴びて、逆切れしてずかずかと退場、代役があわててジーンズ姿で演じたという前代未聞の珍事、しかもこの代役が非常に素晴らしかったとのこと。いやぁ行きたかったっす。

そんなわけで、今回は絶対行ってやると鼻息荒く乗り込んできました。 このオペラ、ヴェルディ中期の傑作と言われているようですが、物語は、今やすっかり廃れてしまった韓流ドラマばりの「ありえね〜」の連続で、まじめな感覚で「なぜ?」とか「どうして?」「納得できない」などと考え出すと全く楽しめません。こういう場合は左脳の機能を一切停止させて思いっきり感情移入することです。これがオペラを好きになるか/ならないかの境界線。

さて、今回のオペラの感想は・・・何よりオーケストラが素晴らしい。歌い手を大事にする控えめな、柔らかな音。それでいて、おさえるべきところはしっかり主張する。たとえば悲劇を暗示したり、感情の高まりを象徴するヴェルディ特有の「ズーン」というトーンを恐ろしく効果的に響かせる金管と打楽器!この指揮者(Nicola Luisotti)、若いのに只者ではありません。指揮ぶりから、一つ一つの音をかなり細かく(かつ愛情をもって)指示するタイプと見ました。

歌い手は(もともとオペラ歌手は詳しくないのですが)Manrico役のMarcelo Álvarez、Leonora役のCatherine NaglestadそしてAzucena役のStephanie Blythe主要3役とも素晴らしい声の表情。これだけの力量を持つ歌手ばかり揃えたオペラは見たことありません(大枚はたいたんだから、当たり前か)。中でもManrico役のテノールの声の柔らかいこと柔らかいこと。もうメロメロになりました。

カーテンコールで件の指揮者がステージにかけあがり、「キャッ」という感じで片足を上げてテノール歌手に抱きついたのですが、これが本日の聴衆の気持ちを見事なまでに代弁していて、一層盛り上がる拍手とブラボーの声。時差ぼけも忘れて満喫いたしました。



チェコ国立ブルノ歌劇場オペラ「カルメン」 05/07/18 @Bunkamuraオーチャードホール
Part I

経緯

7月上旬の平日、本当に久しぶりに夕方早めに帰宅、長男のピアノレッスンが終わる頃だったので近所のヤマ○へお迎えにいきました。レッスンが終わるのを待っていたら、目の前にカルメンのポスターがあるではありませんか。いやどうせオペラ高いしね。3年前だったか、バレンボイムの指環が来日したときは4日通し券25万円(!)買うか買うまいか迷って結局行かなかったし。何々S席18,000也。まぁまぁ安いほうじゃないの。でも行かないよ。と妄想から離れようと思ったその瞬間、目に入ったのが・・・

バレエ「ボレロ」付き
ヤマ○の生徒であることを言えば半額

なにい!というわけで、思い切って愚息(上の方)にもいい経験とばかり、S席2枚を買ってしまった次第。息子に話したら、「行きたい」とまんざらでもない雰囲気。「長いし飽きると思うよ。ま、良い経験だと思って行ってみるか。」幸い下の子は、このやり取りをきいても特に興味なし。それよりさ、今度のポケモンの映画がさ・・・と、これはこれで一安心。


Part II

会場に着くまで

当日午前中は息子が学校でプール授業。終わる頃にパパは迎えに行くからね。と行っておいたにも拘らず、プールサイドで待つ父に気付かず、友達とさっさと帰りだす始末。「おい、楽しみにしてたんじゃないんかい!(怒)」と、声をかけようと思ったら、友達のS君が僕に気付いて、「あ、今日お父さんとオペラじゃなかったの?」「おお、S君。いい子じゃないの。ウチの子と代わってほしいくらい。」苦笑いする愚息。オペラ行きたいと言うのを聞いて父は喜び、こんなところで父はがっかりする。まさに一喜一憂の親うましかです。

まずは渋谷に出て二人でお昼。息子と二人で食事というのはそうそうありません。お好み焼き屋に連れて行ってあげたら「うまいうまい」と超感動。嬉しい反面、先ほどの一喜一憂の学習効果か、「どうせオペラ見て帰って母親に『今日はどうだった』と聞かれて『うん、お好み焼きがうまかった』とか言い出すんだろうなぁ」と冷めた目で息子を見る父。


Part III

会場について

まず会場についたら、エントランスホールで金管アンサンブルがサービス演奏。チューバの早吹きが聴衆の驚きを誘います。吹奏楽を経験した手前、やはり生で金管音を聴くと、キューンと遠い過去の思い出が蘇ります。この金管独特の輝きと甘みの混じったなんとも言えないハーモニー。バルブ独特のスラーの音の切りかえ。正直ブルノ歌劇場なんて聞いたこともなかったので、(安かったし)ちょっと不安だったのですが、この演奏でまずは一安心というところ。

席は、左側1Fのバルコニー席の最前列。おぉ、舞台が近い。しかもオーケストラピットまで丸見え。ご存知のとおり、オペラの場合はオーケストラは半分地下に潜っているので、ほとんどの客先からは見えないんです。ついでに愚息の隣は2席も空いていて、お客さんに迷惑をかけることもなさそう。ベストの席でした。客は・・・と見ると子供連れはウチぐらい。後は大人、大人、大人。う〜ん、一度は聴いたことはある親しみやすい音楽だからと思って子供を連れてきたものの、いわゆるfemme fatalが主人公だしよく考えるとストーリーは子供向きじゃないよなぁ。と心配がよぎる。


Part IV

第一幕〜第三幕

まず序曲。おなじみのあのテーマが威勢良く始まり、息子も目を輝かせます。ううん、ちょっと待て、そこのシンバル!何がいけないってシンバルの上辺と下辺がばらばらにぶつかるものだから、「ジャーン」じゃなく「バシャーン」と、しかも全ての打音がこれの繰り返し。ただあまり正確に同時に当てると今度はシンバルの中が真空になってバフっという最悪の音が出ることがあり、実は素人が考えるより難しいですが・・・でもお前プロだろ!っと辛口コメント。それ以外は良かったですよ実際。そして、悲劇的な弦のトレモロと同時に、さっと幕が開きます。オペラを観て一番ワクワクする瞬間です。

第一幕から第三幕まで。歌い手さんは何と言ってもカルメン役が他をはるかに圧倒する声量でピカイチでした。それからミカエラによるアリア「何を恐れることがありましょうか」も情感こもる熱唱で心を動かされました。オケも冒頭のシンバルは別として、舞台と息がピッタリあった演奏でまずは安心。次から次へと、愚息も聴いたことのある名曲揃いなので、これまた安心。とは言え第二幕あたりから、さすがにそわそわ飽き始めた様子ですが、それでもかろうじて大人しく観ていました。僕個人としては、通常CDで聴いている組曲以外の曲・歌が聴けて大満足です。何より情景や心の動きを巧みに捉えて、しかも平明な表現で豊かに聴かせるビゼーの手腕に改めて感心しました。有名すぎてもはや陳腐化したといっても過言ではない当たり前の曲でも、ストーリー展開に照らしあわせてよく聴くと、本当に精緻に作られているのがわかります。


Part V

ボレロ

そしてなぜか第4幕の前に、ラベルのバレエ「ボレロ」です。何の関連・脈絡があるのか、僕にはよくわかりませんでしたが、まぁ、おまけのようなもので深く考えず、得したと思えば良いか。オーケストラ的にはどちらも珍しくサキソフォンを使うのが共通点と言えなくもない。さてさて、スネアドラムのリズムにのってテーマが奏でられると、舞台は真っ暗、全部で18の窓がある壁がうっすら見えます。まずその一つに照明が当たり一人の男性が踊り始める。テーマが次の楽器に移るとその窓の照明が消え、別の窓の(今度は)女性が踊り始める。ははーん、これで順繰りに一人一人行くのかなぁ。と思ったら、テーマが5度違いで奏でられ始めるところから、窓が二つ、さらにダンサーが窓を行き来初めて、音楽の高揚と共に、9組の男女が舞台中央に集まり激しく妖しく時には淫らにしかしながら上品さは失わずに踊り始めます。いやぁ、個人的にはバレエは好きじゃなかった(トゥシューズの音が耳障りで好きになれなかった)んですが、素直に感動しました。

いや、この歌劇団、オケより歌い手より何より踊りがうまい!カルメンの劇中のダンスもそうでした。ただこんなエロチックな踊り、子供に見せて良いんだろうか?むちゃくちゃ刺激的な、それとも全然刺激的じゃないか、どっちかだろうな、と思って、聞いてみたら、何となく凄いという感じは伝わっていたようです。それから演奏はサキソフォンとトロンボーンが今イチでしたが、それ以外は良かったですよぉ。最後の崩れ落ちるような独特のCODAなんかはバレエと一体となったこれぞカタルシス!という素晴しい終わり方。


Part VI

第四幕

最後はカルメンが闘牛場の前の広場にてホセに刺し殺される名場面。カルメンの気風の良さ・潔さと愚かさの混じった刹那の自由を愛する気持ち、そして相反するホセの生真面目故の苦悩が、音楽だけでなく、大道具と照明の効果があいまってなかなかの盛り上がり方でした。第二幕あたりから時折、登場していたドクロの化粧をした闘牛士が抜群の跳躍を見せる踊りが圧巻で、この最後のカルメンの死を暗示していたところが、また気が利いていました。

純粋なコンサートレポートというより、子供との思い出を書きとめようという気持ちの方が強かったかもしれません。愚息といろいろなことを話し合いながら家路についた親うましかでした。



ミハイル・プレトニョフ ピアノ・リサイタル 05/06/09 @サントリーホール(大ホール)
Part I

会場について

前回訪れたバレンボイムの項でも書きましたが、これだけの大ホール、ピアノ・リサイタルとしてはどうしても無理があり、音の輪郭がぼやけてしまいます。今回の席は2階の前から4列目。2階とは言っても左側からせりだしたバルコニーのような席なので、座ってみると意外にステージが近いです。手元もよく見えそうでひとまず安堵。早めに着いたので、このホール名物のステージ側の客席もぐるっと一周してみました。行ってみてびっくり。ステージにすごく近い!ピアノの天板がこっち側を向いていて弦が見えないので音響が良いか悪いかわかりませんが、ピアニスト本人がすぐそこ、手が届きそうなところに座る!次回狙ってみようと思った次第。

さて、今回のS席は比較的安かったのが意外でした。現代ロシアピアノ界の頂点に立つ人物なのにねぇ。日本では、弱冠XX歳でコンクール優勝とか、幻のピアニストXX年ぶりの復活とか、イケメンだとか、そういったセンセーショナルなブームにならないとお金にならないのでしょうか。空席もちらほらと散見されましたが、先生の推薦なのか、青少年の聴衆が比較的多かったのは心強い限り。

今回の曲目は、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ7番と8番(悲愴)、それとショパンの前奏曲全24曲。ちょっと重そうな曲がずら〜り。バレンボイムの平均律もそうでしたが、こういう「全曲」ものって個人的に好きなんです。CDもよくボックスセット買っちゃうし・・・で、今回ピアノに譜面台は立っていません。全部暗譜ですね。すごいなミハイル(っておいおい、またそれかい)!


Part II

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第7番 ニ長調 Op.10-3

さて時間となり、プレトニョフ登場。・・・と、歩みが異常に遅い。どこか体が悪いのかといぶかるくらい。厳かといえば厳か。いすの高さを若干調整した後、座った途端プレストが始まりました。その響き、オーケストラを思わせる豊かさ。決して華美に陥らず古典派の格調・品位を十分保ち、峻厳でありながらも、この柔らかく豊かな音は、今までのピアノ・リサイタルでは経験したことのない感動でした。これぞベートーヴェン、これぞクラシック、これぞピアノ・ソナタ。初期のベートーヴェンらしいシンコペーションの効いたテーマが、時にはさざなみのようなアルペジオ、時には雷鳴のような重低音の連打の上に構築され、甘ったるさの欠けらもないドラマティックな展開に息つく暇もありませんでした。あまり聴きこんでいないこの曲だからこそ、ピアノがただならぬレベルで奏でられているのが顕著に感じられます。いや、改めてこの曲こんなに良かったかなぁ。帰ったらちゃんと聴き直さなくちゃ。

それにしても、プレトニョフ、上体はほとんど動かさず、腕も動かさず、手も鍵盤から大きく離れることはまれで、曲想とはおよそ正反対の「静」の構え。そこから紡ぎ出される響きの豊かさ、表情の多彩さ。奇をてらうような表現は一切なく、王道そのもののただただ圧倒される演奏でした。はっきり言って今まで聴いたリサイタルとは音楽のスケールが違いすぎます。


Part III

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 Op.13 <悲愴>

前曲とほとんど間をおかず、第5楽章であるかのようにそれは突然始まりました。Graveとありますが、独特の不協和音、これを、知らず知らず自分も絶叫させられているかのような恐怖感を呼び起こすほどの響きをもって伝える迫力は、未だかつて感じたことがありませんでした。テーマはかなり早めのテンポで始まりましたが、大ホール故の残響でリズム感が減殺されてしまったのは、返す返すも残念。このテーマ、コード変遷の凄さが面白いんですが・・・

安息の第二楽章も、幸せいっぱい平安に満ち溢れるかのごとくの安易な歌い上げ方はせず、あくまでつかの間の無事、安堵にすぎないかのような抑制の利いた演奏でした。そして終楽章も甘さなど微塵もない徹頭徹尾悩みをぶちまけるかのような怒涛のロンド。このピアノ・ソナタは、ベートーヴェン自らが副題をつけた数少ない曲の一つだそうですが、その核心を見せつけられたひと時でした。


Part IV

ショパン:24の前奏曲 Op.28

さて、休憩後のショパン。携えていたバッハの曲集に触発されて全ての調で作曲されたものだそうです。ただバッハの平均律とは曲の並びが異なります。長短の組合わせはバッハが同種、ショパンは平行、進行はバッハが半音上昇、ショパンは5度上昇・・・あ、そんなことはさておき、演奏のコメントを。

前半のベートーヴェン、破格のスケールに度肝を抜かされ、これってショパンでどうなるの?と期待よりもむしろ不安の方が増幅させられてしまいましたが、ショパンの持つ独特の歌、心のゆらぎを、非常に高次のレベルに昇華させた、素晴しい演奏でした。今日はどうしても短調の曲に惹きこまれてしまいがちですが、「雨だれ」として有名な15番変ニ長調もなかなかのもの。こんなに大きな構築物だったかなぁと再発見しました。中間部は、たとえば「キエフの大門」を髣髴とさせる堂々たる造り。最終曲ニ短調の最終音、疲れ果てた魂にとどめの一撃をくらわすような強烈なD音で全曲を締めくくり。はぁ、今宵、弾きたい曲リストに新たに加わってしまった。そう、一気に24曲も。


Part V

アンコール

演奏を終えてのプレトニョフ、媚びへつらうような無駄なお辞儀はせず、ほとんど直立不動。かといって尊大なわけではなく、軽い会釈でその暖かく謹厳な性格が窺い知れます。何度目かの呼び出しの後、本日のアンコールは全4曲。
ショパン「乙女の願い」
リスト「小人の踊り」
ショパン「バラード1番」
チャイコフスキー「夜想曲」

さすがに2曲目を終えたところで、終わったかのような雰囲気で帰り始めた聴衆も少なくなかったのですが、大多数の熱心な聴衆の「ブラヴォー」の声に応えての3曲目、そして驚きの4曲目。いずれも本プログラムとは対照的なホッとさせるような清らかな小品でした。本当に今日は二度と味わえないような魂の洗濯ができました。ピアノに対する考えがまた大きく変わった夜でもありました。



Fourplay 05/04/22 @Blue Note Tokyo
Part I

Sorry, but...it's not a classical music!

クラシックを旨とする本サイトでは異色ですが、ブルーノート東京で大変素晴しい演奏を聴いてまいりました。Fourplayといってもご存知の方は少ないかもしれません。でもBob James(key), Larry Carlton(g), Nathan East(b), Harvey Mason(ds)というメンバーを見れば、おおっと驚く人もいるはず。そう、一世を風靡したフュージョンの大御所たちのユニットです。この夜、昔の名前で出ているだけかも、という心配を吹き飛ばす最高の興奮・感動を与えてくれました。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンといった時代に生まれていたら決して体験できなかったもの。80年代にフュージョンにどっぷりつかり、今2005年を生きている自分にとって、まさに同時代性を象徴する意義深い演奏でした。


Part II

Bob James(key)

彼のピアノは、3度あるいは6度のハーモニーを多様するためとても聴きやすいのが特徴です。時折Major7thがからむ心地よさが何とも言えません。風貌どおり穏やかな曲調はMinor codeもなぜかMajor codeのように聴こえるような気がします。一方でアメリカ人らしからぬ、独特のエキゾティックなメロディーラインを垣間見せることもあり、その昔かなり夢中になったピアニストです。座った席は、もちろん彼に一番近い所。近すぎて、かえって真後ろになってしまいましたが、背筋や肘の動きが至近距離で観察できたのが何とも嬉しいです。痛感しました。ジャズもクラシックも一緒、やはり、脱力こそすべてです。


Part III

Larry Carlton(g)

今回の僕のお目当ては当然Bob Jamesでした。ですが、あえて言わせていただきます。このバンドはLarry Carltonのために結成されたのではないかと。彼が弾くテーマ、アドリブはもちろん、裏方に回ってのリズムの刻みまで、全てかっこいい!CDで聴くのと生で聴くのと一番開きがあるのは弦楽器、次に打楽器、次にピアノと(僕は)思っていました。ましてや電子処理されたエレキギターがこんなに生き生きと聴こえるのは驚きの一言。もちろんCDを通して聴く彼のギターは、大好きですが、まさに予想を超えた衝撃でした。大人のグルーヴでうならせるかと思えば、50過ぎのおじさんとは思えないヘビメタ張りのとんがった攻撃的な音で挑発、はては、しっとりと聴かせる泣きのギター。単なる早弾き自慢ではない、聴き人のハートを時に優しく包み込み、時に激しく揺さぶる、涙なしには語れない名演奏でした。だって僕にも弾けそうな単純なアルベジオが、彼の手にかかると、もうLarry Carltonそのものとしか言えないような艶とうねりとリズムが響き渡る。ぐはぁ。テクニックだけでない何かのオーラが彼にはあります。いつかそんな演奏を自分もできたら。単に丁寧だったり、テクニック巧者だったりするんじゃなくて、そういうレベルを超えて、魂を揺さぶるような・・・


Part IV

Nathan East(b), Harvey Mason(ds)

Nathan East(b)というベーシストは、正直好きというほどではありませんでした。だってマーカスミラーの方が断然かっこいいでしょ。しかしながら、このバンドでは、彼の存在は非常に重要だということが全体の演奏を聴いていてよくわかりました。リーダー格はBob Jamesですが、何となく押しが弱い面が感じられるし、Larry Carltonはどちらかというと求道者でチームマネジメント向きではない、そうなるとNathan Eastのお茶目な性格が際立ち、全体的な演奏の進行を聴いていると精神的な柱が実は彼だったりするのでは?と思います。演奏もどうしてなかなかのもの。6弦ベースで、ジョージベンソンばりのスキャットとのユニゾンでのソロはめったに聴けるものではありません。

ドラマーにはいろいろなタイプがいます。アフリカ回帰型のドンドコ太鼓たたき系、ジャズの彼方を目指すハチャメチャ破滅系、ドッタンバッタンヘビメタ系。Harvey Masonは、そういった他の一流どころのドラマーが持つ衝撃的な驚きは少なく、きっちりリズムを刻むタイプです。かと言って決して退屈なわけではなく、グルーヴ感を失わない独特のバランスのとれたノリを見せる、そんなところが彼を気に入っている理由です。


Part V

As a Whole

以上、メンバーごとの印象を述べましたが、全体としてはもう極上の一言。後半は40代おじさん号泣の懐メロのオンパレードでしたが、決して昔の名前だけで音楽を続けている人たちではないことが確認できて嬉しい限りです。テクニックとかパワーとかのレベルではなく、ハート、心意気を強く感じた夜でした。音楽を始めるのに遅いということは決してないんだと、物凄い元気と勇気をもらいました。以上クラシックとはまるで無縁の、知らない人には何のことやら??の場違いレポートでした。失礼しました。



ダニエル・バレンボイム バッハ「平均律クラヴィーア曲集第二巻」演奏会 05/02/15 @サントリーホール(大ホール)
Part I

バッハ「平均律クラヴィーア曲集」

ちょっと硬めですが、まずは調律の話から。オクターブの周波数比率は2:1であることをご存知の方は多いでしょう。次に完全5度は3:2、長3度は5:4が最も澄んだ音に聴こえると言われています。ここで問題になるのが調性。実は12音全てをこの比率で調律するのは不可能なのです。言わば解けない連立方程式のようなもの。よく使う調をベースに純正調律すると、他の調の響きが濁ってしまい、自在な音楽表現に制限がかかることになります。そこで、全ての3度、5度を「純正でない」同じ比率に微調整することで全ての調を均等に使えるように考案されたのが等分平均律です。どの調も微妙に本来の純正調からずれるので平均律を妥協の産物と考えることもできますが、一方で無限の展開、音楽表現が可能になったという意味では音楽史上大きな飛躍といえます。鍵盤楽器のその後の発展は平均律の確立があればこそなのです。半音のさらに1/4まで聴き分けられたと言われるバッハがこの枠組を用いて数々のクラヴィーア作品を残したことは有名です。

中でも、平均律クラヴィーア曲集はその集大成とも言えるもので96曲。すなわち12(全ての調)×2(長調と単調)×2(プレリュードとフーガ)×2(第一巻と第二巻)。全ての調性がカバーされた曲集というと「カタログ」という言葉が浮かぶかもしれませんが、そういったスタティックなとらえ方をすると、本質を見誤るような気がします。この曲集には調性のみならず、様々な曲想が網羅されています。たとえば深遠なフーガが終ったあと、調がひとつ上がるや、爽やかな風がふわっと吹いてくるかのように奏でられるプレリュード、そういった不可逆な音の移ろい=音楽の持つ本質(同時に制約でもあります)を見事に体現したのがこの曲集です。しかも音楽で表しえるもの、喜怒哀楽、退廃、不条理、苦悩、陶酔など。バッハはこれらを全て受け入れた上でより「前向き」に人間をとらえているように感じます。さらにこの曲集も含めほとんどすべてのクラヴィーア曲を、バッハは子供や弟子のための「教育」と「楽しみ」のために書いたという事実にはとても感動させられます。子供や弟子を後進さらに後世と書き換えれば、これこそ人類の至宝と言えるのではないかと思います。


Part II

下世話な疑問

能書きが長くなってしまいました。いつ急用が入るかわからない身なので今日も当日券での乱入(それにしても、た、たかい!)。今回聴きに行くに先立ち4つの下世話な疑問が頭に浮かびました。このためだけに大枚を叩いたと言っても過言ではありません。(うそうそ)

(下世話な疑問1)
サントリーホールの大ホールのような大きな空間で、果たしてピアノ・リサイタルは成り立つのか?

(下世話な疑問2)
全48曲、バレンボイムは暗譜で臨むのか?(現在暗譜をテーマに取組んでいるわが身にとっては一大関心事)

(下世話な疑問3)
指揮者としても功成り名を遂げたバレンボイム、もはやピアニストとしては過去の存在という冷めた見方は本当なのか?

(下世話な疑問4)
これだけ統合性、一貫性のあるプログラムの場合、アンコールはあるのか?


Part III

全体の印象

座った席は1F前から18列目ステージに向かってやや左。遠目ながら指先まで手の動きが見える場所を選びました。で、ありました、ありましたピアノの譜面台上に譜面が。これで「下世話な疑問2」は解消。ちょっと安心。「やっぱりバッハは暗譜しにくいもんな、ダニエル!」と不遜な独り言。「いやそういうレベルじゃないから」と冷静な方の僕が一人突っ込み。で、ダニエル・バレンボイム登場。(何となくビリー・ジョエルやシルベスター・スタローンを連想してしまうのは僕だけか。)

さて、たっぷりとしたテンポで第一曲目が始まりました。座った場所としては悪くないのですが、やはりこのどでかい会場、音の輪郭がちょっとぼけたかのような印象は否定できません。(この前行った室内楽専用の紀尾井ホールと比べること自体無理があるのかもしれませんが、これで「下世話な疑問1」解消。)

全曲の逐一レポートはできませんので、全体的な印象だけまとめます。一言で言えば「流麗」。かと言って多くのロシア系ピアニストのように甘美に歌い上げるようなことはせず、トリルなどの装飾音は極めて教科書的・模範的な処理でバロック「域内」での端正な演奏でした。

概してペダルを多用した演奏でしたが、デュナーミクがとても大きく感じられ、かつ濁ることもなく、特に中声部が綺麗に聴こえました。曲想の違いをよく把握した豊かな表現力には何度もはっとさせられました。バッハ!平均律!というとちょっと構えてしまいがちですが、暖かい大きな流れに包まれて、聴いている側も一緒に音楽の中にいることを感じさせる演奏でした。また、アクセント箇所や一拍目の休止時にドンとかなり大きな音をたてて足踏みをするところや、片手演奏時に空いた手で指揮のようなジェスチャーをするところ、その他一部のトリルで若干音が雑に聴こえないでもない局面もありましたが、むしろ一ピアニストの枠を超えた音楽観を垣間見たようで、好意的に感じられました。

同様にかなり高い位置から腕を振り下ろす(これも指揮者的なジェスチャーではあります)際も、鍵盤着地の瞬間はとても柔らかいタッチでほれぼれしました。僕がこれをかっこつけてやると、そのままガツンと鍵盤にぶつかってキーンという堪え難い金属音が出てしまいます。

またCodaの最終音のフェルマータを、「必ず」通常より長め、あるいは逆に短めに処理していたのが印象に残りました。長いときは、指を離して一息ついて、次の曲のために楽譜のページをめくって次の曲の第一音を弾き始める直前までペダルを踏んでいて、曲の余韻を持続させていましたし、逆に短いときは、あれっというほどあっけなくそれこそ唐突に終る感じです。僕には洒落た感じに聴こえましたが、ダレた印象や、無造作な印象を受けた人もいたかもしれません。


Part IV

感想の続き〜終わりまで

そもそも第二巻は、個人的にさほど聴きこんでもいないし、一般的にも第一巻に比べてポピュラーとは言えませんが、それでもキャッチーなテーマが魅力的なプレリュードもあり、もっともっと親しまれて良いと思いました。特に気に入った曲はホ長調のフーガと、ト短調のフーガでした。中でも前者は、フーガにしては極めて短い主題(たぶん1小節)が、あれよあれよと4声まで折り重なり、驚く間もなくそこからさらに段階を踏んで高揚していきます。浮き足立つような興奮とは無縁ながら、冷静でいて徐々に確実に前進する上昇感、到達感はまた格別です。これこそ始めのほうに「バッハは前向き」と書いたものそのものです。この曲にきちんと対峙し、本来の音を引き出すことは決して余興ではできないでしょう。バレンボイムはピアニストとしてもいまだ頂点の域にあると断言できます。(これで「下世話な疑問3」も解消)

演奏を終えて、僕は生まれて初めて(会場全体とは言いませんが、周囲20mの範囲で)率先してスタンディングオベーションしてしまいました。終了時間が遅かったこともあり帰宅を急ぐ人々も少なくありませんでしたが、残ったお客さんは総立ちでした。このホール名物のワインヤード形式の観客席すべてに向かって、ピアノの周りを一周する形で、丁寧にお辞儀をしたり、手のひらをそっとうえにむけて観客の方に差し出す独特のしぐさ(今日の演奏は皆さんと一緒に創りましたとでも言いたげ)が、また好印象でした。何度かの挨拶の後ピアノに近づき、もしやとは思いましたが、さっと楽譜を手にとってしまいこんで、会場の暖かい笑いに包まれ退場です。これで「下世話な疑問4」も解消。すっかり満足して帰宅の途につきました。

なお、会場では、今仕事でお世話になっているクライアントの方とばったり遭遇。お互いびっくりでした。どこでどんな出会いがあるかわかりませんが、どうせ出会うならこういう場所で良かったと胸をなでおろした次第。



ニコライ・ルガンスキー ピアノ・リサイタル 04/09/29 @紀尾井ホール
Part I

ホールについて

会場の紀尾井ホールは初めてです。室内楽専用の格調高いホールでした。2階だけでなく、1階にもバルコニー席があり、華やかな雰囲気です。座った席は2階の一番前のど真ん中。ピアニストからはやや遠めでしたが、ホール全体に広がる音を直に感じることができました。遠めといっても小さいホールなので、指の動きもよく見えます。ピアノ・リサイタルとしては理想的なホールだと思います。


Part II

一曲目 ベートーヴェン ピアノソナタ 「月光」

まず第一音。この音の深いこと深いこと。三連符がゆっくり進行していく一音一音がひんやりとホールに広がり、聴衆の心に静かに沈潜していくよう。そしてpでありながらも、くっきり浮かび上がるテーマ。この数秒で確信しました。「うわ。これは本物だ。」全体としてルバートを大きく効かせた演奏。バックハウス、ブレンデルというどちらかというと正統派の演奏を聴きなれた僕にはとても新鮮でした。

アルペジオ三連符の三番目の音と、テーマの付点の後の16分音符のずれ。これは算数的には(1/3−1/4)÷(1/3)=1/4、すなわち三連符の三番目(薬指)の音が立ち上がって1/4経過したところで、小指の16分音符が入るのが正確なところですが、彼はやや早め、ほとんど薬指とかぶる直前。ふふ〜ん、いろんな弾き方があるんだなぁと・・・でも、三連符の三番目の音二回ほど音抜けがあったような気が・・・ありゃりゃ、こんなペースで書いていたらきりがないので、スキップします。

第二楽章、第三楽章も素晴らしかった!テンポアップ後、ベートヴェンらしいパッセージを、余裕をもって弾ききり、ピアノ全体がよく鳴り響いていました。第一楽章と同様、比較的大きなテンポのゆらぎは、とても効果的で魅力的でした。エンディング、個人的には余韻を楽しみたかったところですが、会場からはすかさずの大拍手。


Part III

二曲目 ショパン 夜想曲 ハ短調 Op.48−1

正直なところ僕はあまりにもショパンを知らなさすぎ。今日のプログラム、実は一曲も聴いたことがありません(恥)。ベートヴェンとはうって変わって、品行方正な弾き方で始まりました。あれ、弾き方逆じゃないの?曲調もショパンらしからず、聴いていて譜面を想像できる位「疎」な音。へぇこんな曲もあるのかと不思議な気持ちでいたら、突如低音からオクターブでの発作的な半音上昇スケール。でも一瞬のうちにまた前の調子・・・そらみみ?と思いきやまたの発作。

そしてこれまで抑えてとりすましていた気持ちが、一気に崩れ去り、抗えぬ力に身も心もとらわれ、あれよあれよと翻弄されつつ高揚していきます。ある意味、とてもエロティックな曲です。終わってみれば濃厚なショパンの世界を満喫できました。う〜ん、ショパンが女性に人気がある理由の一つが、きっとこんなところなのかしらん。と妙に感じ入る。・・・気がついたら演奏ではなく、曲についての感想になってしまいましたが、いつかはショパンに挑戦してみようと大いに胸(妄想?)を膨らませた次第。


Part IV

第三曲(夜想曲 変ニ長調 Op.27-2)
第四曲(バラード 第4番)

三曲目は比較的音域が中高音に限られた可愛らしい曲で、心の奥底の感情の吐露を表現したような二曲目とは対照的な、初心な雰囲気。

四曲目は大曲。ショパンらしさが随所にあらわれていて、(きっと有名な曲なんですよね?知らなさすぎでごめんなさい)一挙に好きになりました。


Part V

休憩後 第五曲 ラフマニノフ:コレルリの主題による変奏曲

本日の第一の目的が、実はこの曲。
(理由1)ルガンスキーは見るからに長身、指も長い。まさにラフマニノフと体型一緒。悪かろうはずがない!
(理由2)この主題は、吹奏楽をやっている者には「ラフォーリア」としておなじみ。僕の青春!ピッコロのW先輩、フルートのS先輩二人とも超美人であこがれでした。
(理由3)将来のピアノキャリアで、初めて取組むであろう本格的な変奏曲はモーツァルトのトルコ行進曲つき(1年後くらい)。それの布石として。

休憩前の曲の「ベートヴェンだぞっ!」「ショパンだぞっ!」という緊張感(もちろん、これはこれで楽しめました。)とは一転、非常に肩の力の抜けた闊達な演奏でした。この曲自体、ジャズにも通じるコンテンポラリーな曲想で、とても楽しい気分に浸れました。そもそもバロックとジャズって相性いいしなぁ、なんてJohn Louisを思い出しながら聴きました。でもそこはかとなく漂う和声(スラブ調というか、エトランゼ調というか、)は間違いなくラフマニノフ。


Part VI

第六曲から最後まで。ラフマニノフ:8つの前奏曲

前曲の映画的というかビジュアルな雰囲気とは対照的に、非常に内省的な曲たちでした。あえて言葉で表現すれば、それぞれ「ぼんやり」「きらきら」「どっしり」「ひらひら」といった風で、ルガンスキーの入魂の演奏に息つく暇もありませんでした。

余談ですが、フェルマータの後、音が消えていく際、ペダルをそっと戻しますよね。これがあまりにもゆっくりだと、フェルトがワイアーに接触する時に、フェルトのほんのわずかなポヤポヤっとした部分でペダルが一瞬留まってしまって、このポヤポヤにワイアーがからまり、消え入るはずの音が、逆にウワ〜ンとうなってしまうことがありませんか?4、5ヶ月前に聴いたアメリカ人のピアニストの時はこれが妙に耳障りで残念でした。今回はこの前奏曲の時に1箇所だけそれを感じるところがありました。ピアノ個体の構造の問題なのか、テクニックの問題なのかよくわかりません。

話を曲の方に戻します。8つの中では、特に7曲目と8曲目が印象的でした。7曲目(ニ長調 Op.23-4)は、大切なものと一緒に生きられることの哀しいまでの幸せを謳いあげたかのような平和な一曲。一音一音のハーモニーの移ろいが僕の心を捉えて、般若心経の「無」に通じる哀しさを伴いつつ、幸せで静かなトランス状態に陥る自分を感じました。

8曲目(ト短調 Op.23-5)は、諧謔的かつ豪快なテーマから入り、冒険ファンタジー物語の序曲のようなドラマティックな展開。昔なら大航海時代の海賊といったところでしょうが、現代に生きるサラリーマンとしてはアントレプレナーシップという言葉が浮かびました。私事ながら、今日上司から役割分担の変更を示唆され、相当な責任を負わされるのが確実な情勢となり、ちょっとビビッていたのですが、この一曲で勇気をもらいました。「やってやろうじゃないの、ガハハ」とこのテーマは豪放磊落なおじさんが笑い飛ばしているかのよう。


Part VII

アンコール

さて、アンコールです。ルガンスキー颯爽とピアノに座るや、客席を振り向いて「Debbusy, Arabesque」えっ、えっ!たしかにドビュッシー、アラベスクと聞こえたぞ。でも今日のプログラムの路線で、そりゃないでしょう・・・と驚く間もなく、軽やかなイントロ!ああっ何となくネットでの知り合いの方たちの姿が、(まだお会いしたことがないのに)心に去来し、じ〜んときました。(皆さんこの曲好きでよく話題にのぼりますよね。)そして、驚くなかれ、聴こえる響きがこれまでの曲と全く違う!たとえて言うなら、ダンブルドア校長の杖の一振りで、それまで重厚だったホグワーツ魔法学校のたたずまいが一瞬にしてクリスマスパーティの華やかな飾りつけに変身したような・・・ルガンスキー恐るべし。この懐の深さ、響きの多彩さ。演奏は比較的アップテンポで、あまり歌い上げずに軽やかに進み、これがまた独特のおすましした乾いた空気を醸し出していて絶妙な浮遊感でした。

万雷の拍手の中、なんと二曲目。今度は何も言わずにいきなり演奏。知らない曲だぞ。シューマンかな、いやもうちょっと近代っぽいかなぁと思いながら聴き入りました。両手同時の16分音符のパッセージが、ユニゾンになったり和音になったり、モダンアートのようなカイネティックな雰囲気の曲でした。(お開き後の会場掲示板で、メンデルスゾーンのスケルツォ、ラフマニノフ編とありました。)

そして、なんとなんと三曲目。二曲連続の選曲および演奏のサプライズに覚めやらぬ間に、今度も黙って弾き始めようとする直前、さっと会場を振り向いて「Scriabin!」えっと思ったら、泣く子も黙る(俗な言い方ですみません)エチュード。こんなに充実したアンコール、夢のようです。この難曲を楽々と弾く力量にあっけにとられつつ、気がついたら終曲で、手のひらが真っ赤になるまで拍手。いやあ200%の満足。今日は良かった・・・

と、またまたまたまた四曲目。今度は何でしょう。黙って弾き始めたのはショパンの有名な嬰ハ短調のワルツ(いくら僕でもこれくらい知ってます!)。事前に、今日のアンコールは大方この曲だろうと予想していたのですが、1〜3曲目まで裏切られ、感動していた矢先に、今度は逆の意味で二重に裏切られて、嬉しいことこの上なし。途中テンポアップするところありますよね。これがいきなり4倍速の目まぐるしいスピードで弾き始め、これまたびっくり。この後の部分の叙情性が際立つ反面、こういう弾き方アンコールだからなんだろうか、本プログラムでも同じように弾くんだろうか?と恍惚の中にも妙に冷静に考えていました。こんな風にやや乱チキ気味(?)の大団円で終わるのも悪くないと結論づけ、聴衆も感動の頂点での大きな拍手。

・・・ところが
またまたまたまた、またもう一曲ありました。バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」。もう目が霞んで、立ち上がれません。これも「ドビアラ」同様ネット上ではポピュラーな曲。前曲とはうってかわって、心の奥底に染み渡るような、平和で敬虔な響き。お馴染みの右手のアルペジオ(と言っていいのかどうか?)と左手の通奏低音の間で、くっきりと立ち上がる威厳のあるテーマ。でもしかめ面ではありません、右手の和音が、飛び回る天使のハミングのように絡み合い、これぞ天上の音楽。陶酔しつつも、うわべだけの高まりではなく、深く深く心に染入る名演でした。前曲を熱狂的な拍手で祝福した聴衆も、最後の一曲は、ルガンスキーの問いかけをしっかり受止めたかのような、しっとりとした暖かい拍手で応えます。


Part VIII

最後に

あまりもの感動で、脱線気味の文章となってしまいました。至らない点、不適切な表現があっても、感動ゆえの気迷いと思いご了承ください。総じてルガンスキーは、比類なきテクニックをひけらかさずに、内面に深く入り込む精神性の高い演奏をするピアニストだと感じました。その入り込み方は、X線投射のようなアナリティカルな(指揮者で言えばブレーズのような)ものではなく、極めて温かみのあるアプローチのようです。翻って日々ピアノに向かう時、ついついどう弾いたらよく聴こえるかを考えてしまいますが、この曲は何を問いかけたいのだろうという本質的な追求を忘れがちであることに改めて気がつきました。

最後に二言。
1.やはり一人でコンサートというのは寂しいもの。今度は感動を共有できるどなたかと一緒に行きたいと思いました。
2.こういった知的財産(ソフトウェア)のバリューは難しいです。今日のチケット代11,000円は決して高くありません。まさにValue for Money。僕自身の職業もある意味実体のないものを売る仕事。満足度の高い仕事ができているかどうか、考えさせられました。