Why Piano?

ピアノとの関わりについて

音楽は大好きでしたが、僕とピアノの出会いは比較的遅い方だと思います。これまでの音楽への興味の変遷とピアノとの関わりについて思いつくまま綴ってみました。(2004年6月15日記)


Part I

ピアノとの出会い以前

幼稚園の頃、幼稚園の先生にオルガンをほんのちょっとだけ習いました。今でも覚えているのは「手を卵型にするのよ」「ペダルはゆっくり踏むのよ」くらいで、特に楽しかった記憶はありません。うちにもピアノはなかったはず。

中・高はずっとトランペット。高3の時、吹奏楽部の指揮者になったのを好いことに部室で余っている楽器を片っ端から「試し吹き」してました。結局何も身につかない典型パターン。

それからギターを始めたのもこの頃。NHK教育の「ギターを弾こう」に興味を持ち、本屋でテキストを購入。長髪の庄村清先生の見よう見まねで「ソル」や「タルレガ」を途切れ途切れに弾きました。買ってもらったのは当然クラシックギターでしたが、なぜか当時流行ったEric ClaptonのOcean BoulevardやPink FloydのDark Side of the Moonを聴いてボトルネック奏法というものがあることを知り、できもしないのに一所懸命コピーしたのを覚えています。コピーと言えば、The BeatlesのBlackbird、YesのMood for a Day、Led ZeppelinのRain Songもトライしました。いずれもクラシックに通じる構成の確かさ、和声の妙を感じたからです。

お断り:YesやZeppelinファンの皆さん。記憶が定かではないので曲名が間違っていたらご容赦ください。YesはFragileのSteve Howeのソロナンバー。ZeppelinはHouses of the HolyでJimmy Pageのイントロから始まるナンバーです。後で調べておきます。(2004年6月15日記)→YesのMood for a Dayは正解。ZeppelinはOver the Hills and Far Awayの誤りでした。(2004年6月16日記)

Part II

ピアノとの出会い

そして、なぜかこの頃、自宅でピアノを購入。受験を控えた僕や、中学にあがった弟のためではないはず。母の単なる楽しみのため?いまだに不明です。とにかく指揮者になる勉強として、和声やソルフェージュ同様ピアノも必須ということで、突然猛烈に弾き始めました。

弾いたのは「お約束」のバイエル、ツェルニー、ブルグミュラー、ソナチネ、ハノンのほかミクロコスモス(当時バルトークが好きだったので)など。でも所詮は独学の悲しさ。バイエル、ツェルニー、ブルグミュラー、ハノンはひたすら退屈だったため(本当の良さ、大切さも知らず。今思えば恥ずかしい限りです。)早々に放り出し、ミクロコスモスと(弾けもしない)ソナチネを、トツトツと弾いただけでした。

小学校の時大好きだった女の子Hさんが小5、6年当時きらびやかに弾いていたソナタ。彼女は、勉強もできるしスポーツも得意。短距離走は男子も含めて一番速い!スレンダーな体つきでピアノに向かい、眉間にちょっと皺を寄せて鍵盤を弾く表情や、しなやかな指の動きに子供心にも陶然としたものです。それから高校の吹奏楽部で唯一ピアノをすらすら弾いていたトロンボーンのT君。彼はひじがだら〜んと肩からぶら下がり、見るからに力が入っていないのがよくわかる美しい体勢。それだけで羨ましく思ったものでした。HさんやT君のように、なぜ弾けない!うまくなりたい!(2004年6月15日記)

Part III

ピアノ再開まで

以降、東京の大学へ入学そして就職。この間15年以上楽器に触れることはほとんどありませんでした。第二次ディスコブームで六本木で踊りまくったり(ChicのGood Timesじゃないですが、恥ずかしくも懐かしい日々です。)、NY赴任時代Jazz Clubに入り浸ったりと、ちょっと乱れ気味かつ受身での音楽生活でした。NYのBlue NoteではHarbie HancockのステージにStingが聴きに来ていたりと貴重な体験をしました。

またクラシックでは、1988年7月に憧れのヨーロッパへ3週間の旅。一週目がパリ、二週目がフランクフルトからレンタカーでロマンティック街道を南下し、ローテンブルグ、フュッセンを経てミュンヘンへ、三週目はウィーン、ザルツブルグと音楽を満喫しました。音楽祭真っ只中のザルツブルグでは、バーンスタイン指揮のシベリウス交響曲、レバイン指揮のモーゼとアーロン(フェルゼンライトシューレにて)、それからフィガロ。(3つ隣の席にバーンスタイン氏が座っていてフィガーロ、フィガーロと口ずさんでいたのが印象的でした。何か気持ちよさそうに酔っ払っていたみたい。)ちなみに、フェルゼンライトシューレというのは文字通りの塩の町ザルツブルグらしく岩塩を掘った絶壁の岩肌をそのままステージにした幻想的な劇場です。この他にも、あちこちの宮殿でサロンコンサートが開かれ、まさに半日刻みで午前、午後、夜とかけずりまわったのが懐かしい思い出です。また有名どころではないにしても、パリの教会やハイデルベルグの古城で、地元の学生や有志による発表会なども聴くことができ、西洋音楽の歴史の深さ、裾野の広さを肌で感じました。

この後、結婚、家族も徐々に増え、仕事にも追われと、音楽生活は停滞気味でした。唯一の楽器演奏は、高校の吹奏楽部の同窓U君の結婚にあたり、これまた同窓のN君と二人でアルトサックスを披露宴二次会で演奏したことです。バッハの管弦楽組曲から二曲を二台アルト用に編曲。N君のアルトサックスは、高校時代からその甘美な音色が魅力でした。N君も五児の父、タバコの量も増え、肺活量が落ちたとこぼしていましたが、いやいや、相変わらず素敵でした。今現在、彼らとは残念ながら随分長い間ご無沙汰してしまっています。(2004年6月22日記)

Part IV

ピアノ再開!

結局ピアノを再開したのは、長男が幼稚園に入ってしばらくしてからのことでした。ふとしたきっかけから長男にピアノを習わせようということになりましたが、「狭い」「安普請」「CD・蔵書・おもちゃがところ狭しと散乱」という最悪の住環境下、購入するのは電子ピアノという選択肢しかありません。それでもなるべく本格的なピアノに近いものをと楽器店を物色。この時点でカミサンは既に「なんか楽しそうじゃない?」と猜疑心たっぷりの目つき。最終的にはRolandのKR575にしました。やや軽めながらも、タッチがピアノに一番近く感じたのと、何よりも音が良かったのが選択の決め手でした。

さて20年ぶりのピアノとの再会は・・・実に悲惨でした。ネットで拝見する同様の再会組の諸先輩方も多々述べられているとおり、自分の指の動かなさにはあきれるばかり。(子供のピアノレッスン開始を機にという方も非常に多く、とても親近感がわきます。)ピアノへの絶望感を味わう一方で、注目したのはDTM機能です。これだと、片手で旋律を弾いて後で重ね録音をすれば、一人オーケストラだって夢ではない!・・・ということで1〜2年位はピアノ練習はそっちのけで、むしろDTM作りに励んでおりました。当時の作品一覧はMy DTMをご覧ください。MP3も聴けます。

結局本題のピアノ演奏は諦めたかと思うと、またその気になって楽譜を買ってきては弾き始めるが、結局弾けず落ち込む。そして楽譜だけがどんどん増える。カミサンはますます怒る。という繰り返し。その後次男誕生、長男小学入学、次男幼稚園入園とバタバタ時間がすぎる中、ピアノはこれといった打開策がないままとなっておりました。そしてついに、やはりレッスンに通おうと一大決心をしたのが2003年9月頃でした。 (2004年6月24日記)

Part V

My Lesson, My Tutor

さて大切なレッスン選びですが、いろいろ体験レッスンを受けた結果、結局は大手メーカー系のスクールにしました。決め手はやはり先生です。K先生は、事前相談の時から違いました。「ソナチネレベルを独学でおやりになっていると聞いたので」と自らソナチネアルバムを持参、親身になってアドバイスしてくれる熱心さに心打たれました。それからここの教室は基本的にグランドピアノ。時間さえ空いていれば貸しスタジオとして比較的廉価で利用できるので好都合です。「お父さんのためのやさしいピアノ教室」みたいなステロタイプ的な扱いを受けるのと(確かにそれはそれで間違いない事実ですが・・・)一人一人の個性を尊重してくれるのとではイメージがだいぶ違いますよね。「勝手にソナチネレベルだと思っているだけなので、レベルは正直に言ってください」とお願いしました。この時初めて知ったのですが、レベルが高いほど月謝も高くなる!レベル的には高く評価してほしいし、月謝的には安くしてほしいし・・・初回レッスンの結果はソナチネレベルでOKとのこと。これから長いお付き合い。週一回30分だけですが、K先生よろしくお願いします。

ここのスクール、実は勤務先から近いので、レッスン以外でも練習スタジオとして利用しています。自宅は電子ピアノだし、タッチがあまりにも違うので、週一30分のレッスンだけでは上達は望めません。早速練習に行ったのは良いものの、防音壁を隔ててかすかに聞こえる隣の方たちのレベルのすごいことすごいこと。左からはファリャの火祭りの踊りの絢爛なリズム、右からはガーシュインの洒落たラグタイム。これだけでビビリます。手元のソナチネを見つめて「ごめんなさい、ごめんなさい」と意味もなく謝る(なぜ?)自分が悲しい。

最後にK先生について。K先生は清楚な表情と、まじめそうな物腰のとても好感のもてる先生です。生徒に何かをつかませるツボをおさえたアドバイスが非常に上手だと思います。ノウハウ伝達型というより、生徒自身による発見を促すタイプとでもいうのでしょうか。先生自身のピアノをいずれ聴いてみたいものです。

K先生は僕の課題曲を聴いてOKを出してよいかどうか明らかに迷っているのがわかる時もあります。「テンポは随分安定してきましたよね・・・」と自分でOKを出すための理由を探しています。大人相手ですから厳しくダメだしをするのもどうかと思われているんでしょう。そんなやりとりもレッスンの楽しい一こまだと思います。僕自身は「お目こぼし」に感謝する時、逆に納得していないのでもう一回やってきますという時、両方あります。前者の方が多いか・・・それから、やさしそうな顔つきに似合わず、実は揺さぶりをかけるのが得意です。走り勝ちだと「ゆっくり弾きましょう」ということになりますが、ゆっくりテンポに慣れたところで敢て「ちょっと速く弾いちゃおうか」と言い出し、あわてる僕をニコニコ見守っています。これもレッスン法のひとつなのか、単に困らせて楽しんでいるんだか、時々わからなくなります。2003年10月からはや9ヶ月、だいぶ環境に慣れ、通いだして良かったと痛感しております。(2004年6月24日記)